猫と音楽と経済と政治のブログ

猫を見ながらまったりと 音楽聞きながら軽い気持ちで、 経済と政治を気楽に語るブログです。 猫は見ている、猫は調べてる、 猫は政治の番人です〜 N・E・K・O、ネコ〜

戦国時代の男の手本、刺客聶政(じょうせい)

「士は己を知る者のために死す。女は己を説ぶ者のために容づくる」(女は己をよろこぶ者のためにかたちづくる)


男は自分のことを知り、評価してくれる者のために命をかけ、女は自分を喜んでくれる者(男)のために着飾って化粧する。


古代中国ではこのように言われていたが、今回は己を知り、評価してくれた人のために刺客となった男の話しである。


その昔、斉の国に聶政(じょうせい)と言う男がいた。元は韓の国に住んでいたが、喧嘩で人を殺め、仇を避けるために斉の国に逃れて屠殺業(食肉解体お肉屋さん。犬の屠殺が多かった)で生計を立てていた。


聶政がなぜ喧嘩で人を殺めたのかは記録が残っていない。だが、韓の国に聶政のことを義に厚い男と評判が立っていたので、何らかの義理人情もしくは社会正義とも言える動機があったのだろう。


ある時、斉の国で母と姉の3人でひっそりと暮らす聶政の元に韓の大臣厳仲子(げんちゅうし)が訪ねてきた。


「私は義に厚い方と常日頃から親交を持ちたいと願っておりました。あなた様のお噂を耳にしてお訪ねもうした次第です」


そう言って、厳仲子は月に一度は聶政の元を訪れるようになり、訪問のたびごとに酒と肴を持参してきた。そして数ヶ月後には聶政の母親の長寿を祝う宴席を開くために充分過ぎるほどの酒肴を持参してきた。聶政は感謝することしきりだった。


「母君の長寿の為にこれをお納めください」


宴席が終わった後、厳仲子がそう言って、黄金百溢(ひゃくいつ)を差し出してくる。


驚いた聶政が


「これほどの大金、いただくわけにはまいりません」


と固く辞退するも、


「いえ、私の気持ちです。是非とも受け取っていただきたい」


厳仲子も譲らない。


「何か理由があるのですね」


不審に思った聶政が尋ねる。


厳仲子が威を正して話し始める。


「実は私には恨みを晴らさねばならぬ仇敵がいるのです。その本懐を達する助けとなる人を日夜探しており、義に厚いあなたのお噂をお聞きして、あなたになら頼めると思い、あなたと親交を結ばせていただいたのです。この黄金は男と見込んだあなたへの私の気持ち。どうぞお受け取りください」


そう言って厳仲子が頭を下げる。


しかし聶政、


「私が屠殺業のような卑しい職に身をやつしているのは、ただただ老いた母を養うため。母が健在である間は申し訳ないのですが、あなたの頼みを聞くわけにはまいりません」


厳仲子うなずく。


が、自分の在所を聶政に知らせ、「気が変わったら訪ねて欲しい」と言い置いて去っていきます。


****


それから数年して、聶政の母親が世を去った。葬儀を終え、母の喪が明けた聶政は厳仲子を訪ねることにした。


「厳仲子どのは韓の大臣という高位にありながら屠殺業に身を落とした身分卑しい自分と対等の付き合いをしてくれた。そればかりか、母の長寿を祝い、百金をも差し出そうとしてくれた。士は己を知る者のために死す。唯一の肉親である姉も嫁ぎ、今は自分を縛るものはない。ならば厳仲子どのの本懐を果たす助けとなろう」


遠路はるばる訪ねてくれた聶政を厳仲子は手厚くもてなします。


「以前、あなたの頼みを断ったのは母が健在であったがゆえ。その母も世を去り、姉も嫁ぎました。今はあなたの頼みを聞きましょう。あなたの仇はどなたですか?」


厳仲子、聶政の申し出に深く感謝の意を示し、


「私の仇は韓の大臣侠累(きょうるい)です。侠累は韓王の叔父であり権勢は盛ん。侠累と反目した私は侠累から害されることを恐れて諸国を巡っております。侠累を亡き者とせぬ限り、身の安泰も図れず韓にも戻れぬのです。あなたの助けが得られるなら人数を集めて侠累を襲う手はずを整えましょう」


聶政、答えて曰く、


「相手は韓王の叔父、なれば下手に人を集めれば、命の危険を犯すより厳仲子どのの計画を侠累どのに喋って礼金を得ようとする不心得者も出てきましょう。ここは私一人が侠累どのの元へ赴き、事を成すのが最善と考えます」


そう言って、聶政は一人侠累の暗殺に向かった。


韓の国に入った聶政は宰相府に赴き、大臣侠累との目通りを願った。それが許されたところを見ると、史書には記載がないが、何らかの手土産、取引の材料が聶政にはあったのだろう。


(注:史書によると目通りを願って断られたから門番を斬って捨てて宰相府に乱入して侠累を仕留めたとあるが、そんな雑なやり方では討ち漏らす恐れがあり、実際にはしなかったであろうと推察する)


侠累とまみえた聶政は、警護の者も含めて、すかさず侠累を剣で刺し殺してしまった。これも史書には記載がないが、聶政が剣の達人だったのは間違いなく、義に厚いだけでなく、智恵と勇気を兼ね備えた、古代中国の男子の理想像、智勇兼備の男だったのだろう。でなければ、警護の固い大臣を1人で暗殺しに行くなど考えにくい。


侠累を刺し殺した聶政はその後も警護の兵士と斬り結び、何人も返り討ちにした。が、大臣を暗殺して生きて宰相府を出られるとは、はなから思ってない聶政は、力尽きる前に自分の顔をすだれのように切り刻み、自害して果てた。


大臣侠累を殺された韓の国は大騒ぎ、しかもたった一人の人間に宰相府に乗り込まれて、首尾良く大臣を殺害されたとあっては国の面子も丸潰れ。報復のために聶政の親類縁者を捕らえて処刑したいところが、聶政が自分の顔を切り刻んで自害したので、どこの誰だか皆目分からない。仕方なく、韓の国は聶政の死体を市中にさらし「この者の名を知る者には千金を与える」とおふれを出した。


やがてこの話しは諸国に広まり、「世の中にはすごい奴がいるもんだぜ」なんて称賛と共に人々が盛んに噂しあったことだろう。


その噂はすでに嫁いだ聶政の姉の耳にも入った。


「韓の大臣侠累さまを殺したのは、もしや弟の聶政なのでは?」


その疑念に、いてもたってもいられず聶政の姉は韓の都に向かった。


市中にさらされた見るも無残な死体は、はたして聶政だった。体のほくろか何か、肉親でなければ分からない身体的特徴から判別したのだろう。


姉は聶政の遺骸に抱きつくと、声を上げて涙を流した。


「この男は我が国の大臣を殺した不届き者だよ。この男の縁続きの者と分かったら、どんな目に合わされるか知れたものじゃないよ」


泣き崩れる聶政の姉に、通行人が助言するかのように言う。


「これは私の弟、聶政です」


姉がきっぱりと言います。


「弟は男として見込んでくれて、母の長寿を祝ってくれた厳仲子さまの頼みを聞いて厳仲子さまの仇を討ったのです。士は己を知る者のために死すと言うではないですか。弟がこのように自分の顔を切り刻んで自害したのは、侠累さま暗殺の報復が私に及ばないようにするためです。されど、虎は死して皮を残し、人は死して名を残すと言われます。私がここで弟の名を語らねば、立派な行いをした弟の名は残りません。だから私は弟の名を名乗るのです」


そう言って、姉は聶政の遺骸の横で自害して果てたのだった。

 

・・・・

 

古代中国の人と現代の人との価値観は違う。何が立派であるかも違う。しかし聶政は当時の価値観で称賛される行動をし、姉は弟のその行為が弟の名と共に後世に残ることを自分の命より価値あるものと考えた。

 

史記などの史書には聶政に頼んで首尾良く仇を討ち果たすことができた厳仲子には人を見る目があった、なんてことが書かれてあるが、私にはそんなことはどうでもよく、一国の大臣、しかも王族に繋がる大臣を暗殺して、そこから始まる苛烈な報復に姉を巻き込むまいとして自害した聶政の姉想いの心、聶政のその心を知っても、聶政の名が後世に残ることを願い、自分の命を投げ出した姉の弟を想う心。そちらの方がよほど私の心には響く。だから、こうして聶政の話しをブログに書く気になったのである。

ウクライナとガザの戦闘で、報道がまるで違うのでその理由を考えてみる。

まず真実・事実


ウクライナイスラエルは露骨に民間人を標的にして殺戮を繰り返してる。


左派系の人はSNSによる現地情報すらも陰謀論扱いで見向きもしないので、ウクライナの残虐行為は知らないし、認めたら過去の自分の言動が間違っていたことになるし、自分が騙されていた間抜けだと認めねばならなくなるから、何があってもウクライナの残虐行為は認めないだろうし、ロシアの一方的侵略だと恐らく死ぬまで言い続けるだろう。日本人はそういうメンタルの民族だ。それは承知の上で説明していきたい。

 

2014年のユーロマイダン革命でそれまでの大統領が追放され、ネオナチ組織が政権を握った。その狂いっぷりに愛想を尽かして、ウクライナ軍や治安警察の兵員隊員、将校までもが大挙して装備を持ったままウクライナ東側に去った。ネオナチ政府がロシア語使用禁止を法制化して、さらには東部のロシア系住民の殺戮を始めたからだ。これがウクライナ内戦となり、本来のウクライナ正規軍が大量に合流した東部の民兵団にネオナチ政府軍が負けて、ドイツ・フランスの仲介でミンスク合意が結ばれた。メルケル元首相の暴露で、ミンスク合意は劣勢だったネオナチ政府軍を強化するための時間稼ぎだったことが明らかにされている。


そして2022年、陣容を立て直したネオナチ政府軍は東部のロシア系住民を皆殺しにするために東部へ集結する。これをウクライナの元国会議員オレグ・ツァロフが「大虐殺が準備されている」と警告した。


その後、東部のドネツク・ルガンスク両州は市民投票の結果に従ってウクライナから分離独立を宣言。すぐさまシリアが独立を承認して、その後ロシアも承認した。これでドネツク・ルガンスク両州は独立国としての体裁が整い、ロシアは両共和国と軍事同盟を結び、集団的自衛権の行使として軍を派遣。両共和国内に存在するウクライナ・ネオナチ政府軍殲滅の軍事作戦を始めた。


これが今に続くウクライナ戦争の始まりである。ロシアは国際法を犯してる訳ではなく、国際法が認める範囲で軍事作戦を行っている。


とは言え、ここまで説明したことを日本のマスメディアは一切報道せず、ロシアが一方的に侵略したと嘘の報道を一年以上に渡って繰り返してる。


ウクライナの残虐行為や民間人虐殺は各国のフリージャーナリストが取材して真実を伝えてくれている。日本のフリージャーナリストでそういう人はおらず、現地に行ってもネオナチ政府の言う通りのことしか伝えてこない。


ウクライナ東部の街の中心部にはネオナチ政府軍の攻撃で命を落とした子供達の写真が貼られている。ネオナチ軍は好んで病院や学校を砲撃する。イスラエルがガザでやってることと全く同じだ。


ウクライナイスラエルも民間人、特に子供を狙って虐殺を繰り返すのには目的がある。


ウクライナの場合はロシアを刺激して戦争に引きずり込んでロシアを弱体化させたい。無論、これはウクライナの意志ではなく、ネオナチ政府をバックアップする米国の意志である。ロシアを戦争に引きずり込み、戦況が思わしくなければプーチン人気は下がり、ロシア国内で政権交代を実現できる。プーチンを引きずり下ろして西側寄りの政権を樹立できれば、ロシアを弱体化させ、世界最大の資源国ロシアの資源を西側が手に入れることができる。


この目的のために西側はプーチン失脚とロシア弱体化を常に画策してるのであり、ウクライナ戦争もその一環である。目的がロシア弱体化なので、ウクライナの悪行は報道せずロシア悪いと報道する。そうすれば各国の世論はウクライナ支持に傾き、ロシアの孤立を画策することができる。だからウクライナの悪行は報道しない。


とは言え、ロシア軍は圧勝しており、ロシア国内でプーチン人気はますます高くなり、今やプーチン人気はロシアを飛び越えて、アフリカや中東、中南米にまで波及することになった。米国の計画は完全な失敗であろう。


一方、ガザ虐殺の目的はガザからパレスチナ人を追い出すことである。殺してもいいし、残虐行為に嫌気して自発的にガザから去ってくれるならそれも良い。殺す手間が省ける。そのために露骨に子供を狙って親たちが自分からガザを去るように仕向けているのだ。


ガザからパレスチナ人を追い出すのにも理由がある。

 

ガザが接する地中海の海底には巨大なガス田と油田があるのが分かっており、イスラエルはそれをパレスチナ人に渡さず独占したい。それにはガザに住むパレスチナ人が邪魔である。ゆえに殺戮を繰り返して追い出すことにしたのだ。


ところが、ガザと国境を接するエジプトがパレスチナ難民を拒否して国境封鎖している。人道的見地から難民を受け入れたなら、ガザの土地と共にイスラエルが重要な天然資源を手に入れ、イスラエルの国力は相当に増強されるだろう。敵国がそのように強力になるのをエジプトは望まない。だから国境を開かない。


そこで報道だ。イスラエルが残虐行為を繰り返して、周辺のアラブ諸国パレスチナ難民を受け入れない状況を、人道という見地から国境を開かせたい。


左派と呼ばれる人は戦争・差別・人権というキーワードに無思考で反応して反対運動を繰り広げる。これは世界的に左派と呼ばれる人たちの共通の反応だ。人権や人命を振り回せば、基本的には正しい。だから考えないんだが、エジプトが国境封鎖してるその理由くらいは、本来なら考えるべきだろう。


という訳で、世界中の、特に西側のマスコミは全て米国の息がかかっており、米国を良い印象で語るのが常なのだが、米国と仲の良いイスラエルをここまで悪く語るのは、これまでの報道では考えられなかった。それがイスラエルを悪く語るのは、人道的見地から各国の世論をアラブ諸国への批判に向かわせ、それができなくても各国にパレスチナ難民を引き受けさせる世論を作るためだろう。こう考えれば、米国が支持を表明するイスラエルを悪しざまに報道する理由の説明がつく。

 

ここまで語ったことも推測でしかないが、同じことをやってるウクライナのネオナチ政府とイスラエルの報道が全然違うのは、こう考えないと説明がつくまい。

 

現在、米国ひいては西側はそれまで支配、もしくは影響力を行使していた世界中の資源国から総スカン状態であり、西側経済圏を維持するためにはどこからか資源を手に入れなければならない。ガザ沖の油田はフィンランドや英国の北海油田よりも埋蔵量が多いと推測されてる。それを手に入れることができれば、西側ひいては米国の急速な没落は避けることができる。


だからトランプもロバート・ケネディJr.もイスラエル支持を打ち出してるのだ。米国の腐敗勢力DSを抑えたいが、米国そのものの没落は望まないということだ。


今までの説明で、現在の世界の動きと報道の方向性を矛盾なく説明できてると思う。

 

とは言え、新たに矛盾した情報が明るみに出てくれば、ここに語った推測も修正せねばならないことになるが。

人間のあり方、王貞治のこと、その父親

王貞治がコロナ陽性で入院か。

王貞治と言っても野球に興味ない人は知らないかもしれないから説明すると、もう40年も前に最多本塁打世界記録868本を打った野球選手で、その当時は新聞TVは大騒ぎだった。だから年配の人ほど王貞治を知っている。と言うか、知らない人はいない。当時の騒ぎ方はイチローのメジャー記録262安打の時や、去年の大谷翔平みたいな騒ぎ方だったから、日本を代表すると言うか世界的に有名な野球選手である。

その後は巨人の監督、ダイエー・ホークス、ソフトバンク・ホークスの監督を務め、第1回WBCでは日本の代表監督を務めて優勝。優勝時にイチローと抱き合っていたシーンは印象深かった。

WBC以前に本塁打記録でもよく知られていたので、日米野球や第1回WBCでは多くのメジャーリーガーが王のサインを貰いにきた逸話がある。だが、王貞治を初めて見たメジャーリーガーたちは目を疑ったろう。

米国内でも王に関しては報道されていて、ベーブ・ルースハンク・アーロンを越える868本の本塁打は日本の狭い球場だから可能だったんだと説明されてきた。しかし、メジャーリーガーが初めて見る王貞治イチローよりも一回り体が小さい小男で、どう見ても世界で一番本塁打を打った男には見えない。とは言え、これでも当時の日本人の平均身長以上だが、体の大きい米国人やそれを見慣れた中南米の選手には王貞治の体格は衝撃的だったろう。

王貞治はパワーよりも、技術で本塁打を打っていたタイプなのだ。今では普通になったが、王が始めた一本足打法はその象徴だが、メジャーと言うか、世界を見渡しても同じタイプの打者はいまい。

王貞治を語る時、私にはどうしても忘られないことがある。それが王貞治の父親、王仕福さんである。

仕福さんは若い頃、戦争前に台湾から日本へ移ってきて、とても真面目に働いていたので評判が良かったらしい。そのおかげか、日本人の登美さんと結婚して6人の子供に恵まれた。(とは言え、2人は乳幼児の段階で早逝している)

中華料理店を経営しながら4人の子供を育てたわけだが、他に特に目立つ功績はない。せいぜい王貞治の父親だったところが功績といえば功績か。

だが、私はこの人の話しが大好きなのだ。

仕福さんが育った台湾の片田舎は20世紀初頭と言うこともあり電気もなければ、病院もなく、医者もいなかった。そこで仕福さんは生まれてきた2人の息子に医者と電気技師になって故郷に戻って欲しいと願った。

王貞治の兄、鉄城さんは父の願いを汲んで医者になった。台湾には戻らなかったようだが、医者として人の助けになる人生を送ったのだと思う。

王貞治は、電気技師になってくれという父の願いに沿えなかったことを多少の心残りとしているらしい。

スポーツの世界で誰もなし得なかった記録を作り上げるのは立派なことだ。

スポーツの世界は常に競争だ。トップレベルになればなるほど才能に恵まれた逸材が努力して競争してる。たまに才能に自惚れて大した努力もせず、伸びなかった逸材もいるが、(清原、松坂、共に西武出身というのが興味深い)、概ね皆んな努力している。その中で一番の成績を上げるのは並大抵のことではない。

しかし、そういう輝かしい実績よりも、私は王仕福さんの考え方のほうが好きなのだ。遠く離れた故郷を忘れず、故郷のためになることをしたいと願い、子供たちにその願いを託して、毎日の仕事を頑張る。

そこには嘘のない純粋な善意がある。私はそれが好きなのだ。

札を刷って給付金を配ると主張して人気を博す政治家がいる。無責任極まりないが、それを抜きにしても、私が人間を評価する時は人気や功績などを中心に考えたりはしない。だから人気があるからと言って、その政治家を評価したりはしない。

それよりも、例え無名であろうとも功績が皆無であろうとも、自分の利益追及ではなく、もっと大きな共同体や同胞のために活動する利他性、嘘のない善意を持つ者こそ、私に取っては評価に値する。

王貞治の父親、王仕福さん。私は仕福さんの中に、その嘘のない善意を見出したのである。

あまり語られない通貨危機の解説、止まらぬ円安によせて

投機筋の通貨売りが集中して通貨危機が起こるが、最初の例はイングランド銀行ジョージ・ソロスのクァンタム・ファンドが有名だ。

ポンドを売り浴びせてもイングランド銀行は最後には諦めざるを得ないとの読みで売り浴びせ、読み通りにイングランド銀行は負けた。ジョージ・ソロスの名を一躍有名にした事件である。

欧州為替相場カニズム(ERM)に参加した英国が参加のために無理していたのを、ソロスはつけ入る隙と見なして仕掛けたのだが、理由はともかく、イングランド銀行の資金量を上回る資金量を投機筋が持っていなければ、イングランド銀行に勝つことなど到底不可能である。

この事件とその後の世界各国で起こった通貨危機の解説で触れられてないのは、民間の方が国家よりも資金量があるということである。

ソロス個人の資産はこの時点ではたかが知れた額しかない。しかし、ソロスのクァンタム・ファンドには民間銀行が莫大な額を融資していた。

ソロスのポンド売りに乗っかってポンドを売り浴びせた他のファンドなど投機筋にも、もちろん銀行から巨額の融資があった。それらの総合した資金量はイングランド銀行を楽に上回っていたのだ。

銀行の資金の根源は預かったお金、つまり預金だが、銀行は預かったお金以上の額を貸し付けることができる。なぜなら預かったお金が一斉に引き出されることはまず無いから、銀行は手元にわずかな現金を用意しておけばいいし、貸付は担保を設定するから、よほどのことがない限り100%の回収不能はほぼないからである。たまに通常の想定をはるかに超える回収不能が発生する場合があるが、それは金融危機と言われる。

このようなわけで銀行は預かったお金の何倍もの額のお金を貸し付けることができる。とは言え、度重なる金融危機の経験から銀行が貸し付けることができるお金は預金の何倍までと、現在ではバーゼル3と呼ばれる自己資本規制が定められ、貸付総量や内容に規制がある。

とは言え、この仕組み、預かったお金の何倍もの額を銀行が貸し付けることができる仕組みが、民間に先進国政府以上の資金量を持つことを可能にしている。

それはつまり、預金量が世界的にトップ10に入るような銀行が数行結託すれば、通貨危機を容易に起こすことが可能であり、国を崩壊させ得るということであり、これは強く指摘しておかねばならない。

かつてマレーシアのマハティール首相がソロスを「ならず者」と表現したが、その背景はこのようなものがある。

今回の投稿は何らかの政策の提言ではなく、通貨危機通貨危機を起こす民間資金の説明である。

統一教会に関する報道の裏を考えてみよう。

陰謀論界隈では統一教会問題をマイナカードと健康保険一体化から目を逸らす為だとする推測で賑わってるが、そうじゃないと思う。


統一教会の問題は自民党の致命傷になりかねない問題で、国民の注意を逸らす材料としては大き過ぎる。


それをマスコミがしつこくやってるのは、マスコミの上部機関・米国がマスコミを使って自民党を恫喝してると推測する方がしっくり来る。


目的は自民党を恫喝して米国寄りの政策を取らせることだ。


自民党もいくら汚いとは言え、多少は国益を考えてるだろう。そこでウクライナ支援・ロシア制裁をやめたいと思ってるのを、統一教会の問題で恫喝して米国追従させてると見る。


マイナカードと健康保険一体化なんて隠す必要はどこにもない。


日本人は馬鹿で従順だから、反対の声が上がっても、そんなの無視すればいいだけだしね。


原発廃止の声を無視し切った政府だ。


それに対して何ら効果的なカウンターを打ててない反対の声なんて、政府から見て気にする必要はない。

国債は返す必要がないの主張は嘘、マイナス金利と円安インフレ

国債は返す必要がないと嘘が流布されてるが、国債は借金なので返済期限があり、利子払いがある。


したがって国債も償還期限が来ればその都度返済してる。返済できなければ債務不履行となる。だが、返済した後に同額を借り入れれば、見かけ上は返してないように見える。


しかし、利子払いからは逃れられない。


新たに借り入れた以上、利子は発生し続ける。


ここからがポイントだが、借入総額つまり国債発行残高に増加がなければ、利子払いも変わらず発生し続けるだけだが、我が国の場合、毎年新規国債を発行し続け、国債発行残高は年々増加してる。発行残高は言ってみれば、借金の元本なので、利子払い総額も元本の増加に応じて増えてゆく。


そうして増えた利子払いが莫大になると、それだけ予算に占める利子払いの割合が増え、他の支出を削減せざるを得なくなる。それをやるわけにはいかないので、利子払いも新規国債発行つまり借金で賄おうとして、結局は借金の元本を増やすことになる。


無論、元本が膨れ上がる速度が早まるので利子払い総額も毎年増えてゆき、増える速度も早まってゆく。


ここに至って、利子払いそのものを減らす必要に迫られる。具体的には利子率を下げることだ。利子率1%よりは利子率0.1%のほうが支払い総額は減る。


この考えでマイナス金利が導入された。これで見かけ上は上手く行くように見えるが、このマイナス金利はほぼ固定金利であり、金利を固定することは金利の上下動で景気を調整する仕組みを放棄することであり、本来なら金利操作で問題に対処したい時にそれができないことを意味してる。


国債利子払い総額圧縮のためのマイナス金利はこのような弊害がある。


その弊害が今起こってる円安インフレ。米国がインフレ抑制のために金利を上げ始めても、日本側は金利を上げれない。そして日米金利差は広がり、ドルが買われて円が売られる傾向が強くなり、円安が進む。


日本は食糧とエネルギーを輸入に頼ってるので、円安は生活必需品の高騰を招き、庶民の暮らしを困窮させる。


このように国債を財源としたり、札を刷って財源とするのは、この世に打ち出の小槌があると信じるようなもので必ず弊害を招く。

国債を国民の資産とデタラメ言う人がいるので、それについて簡単に説明する

国債は国民の資産とデタラメ言う人がいるが、その根拠は銀行の金は国民の預金、その預金を元手に国債を買うから国民の資産と言うトンデモ論のようだ。


買った国債を買い持ちにするか転売するかは銀行に決定権があり、その権限を持たない預金者は資産を持ってるとは言わない。


預金者の資産は預金、これは入金も出金も自由。資産とは通常管理権限を持つ物を言うので、預金者の資産は預金、預金を元手に銀行が運用目的で買った国債は銀行が売買権限を持つので銀行の資産に勘定される。


これが当たり前の金融知識なんだが、札を刷れ、国債はいくら発行しても大丈夫のデタラメを言う人は、これを知らないか、知っててデタラメ言ってるかのどちらかだろう。


ちなみに国債は借金なので発行元は利子を払わねばならない。そして政府の収入は税金。つまり国民が国債の利子を負担している。


仮に銀行等金融機関の金融資産が国債だけだと仮定すると、国民が国に払った税金から国債の利子が支払われ、それが銀行の収益となる。その収益から手数料その他銀行の利益を差し引いた分が預金の利子となる。


つまり国民は税金として払った分よりかなり低額の利子しか預金の利子として受け取れない。


国債が本当に国民の資産なら利子を受け取る側でなくてはおかしい。


どこをどう見ても国債は国民の資産ではない。


御用評論家の言うことを真に受けてはいけない。