猫と音楽と経済と政治のブログ

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戦国時代の男の手本、刺客聶政(じょうせい)

「士は己を知る者のために死す。女は己を説ぶ者のために容づくる」(女は己をよろこぶ者のためにかたちづくる)


男は自分のことを知り、評価してくれる者のために命をかけ、女は自分を喜んでくれる者(男)のために着飾って化粧する。


古代中国ではこのように言われていたが、今回は己を知り、評価してくれた人のために刺客となった男の話しである。


その昔、斉の国に聶政(じょうせい)と言う男がいた。元は韓の国に住んでいたが、喧嘩で人を殺め、仇を避けるために斉の国に逃れて屠殺業(食肉解体お肉屋さん。犬の屠殺が多かった)で生計を立てていた。


聶政がなぜ喧嘩で人を殺めたのかは記録が残っていない。だが、韓の国に聶政のことを義に厚い男と評判が立っていたので、何らかの義理人情もしくは社会正義とも言える動機があったのだろう。


ある時、斉の国で母と姉の3人でひっそりと暮らす聶政の元に韓の大臣厳仲子(げんちゅうし)が訪ねてきた。


「私は義に厚い方と常日頃から親交を持ちたいと願っておりました。あなた様のお噂を耳にしてお訪ねもうした次第です」


そう言って、厳仲子は月に一度は聶政の元を訪れるようになり、訪問のたびごとに酒と肴を持参してきた。そして数ヶ月後には聶政の母親の長寿を祝う宴席を開くために充分過ぎるほどの酒肴を持参してきた。聶政は感謝することしきりだった。


「母君の長寿の為にこれをお納めください」


宴席が終わった後、厳仲子がそう言って、黄金百溢(ひゃくいつ)を差し出してくる。


驚いた聶政が


「これほどの大金、いただくわけにはまいりません」


と固く辞退するも、


「いえ、私の気持ちです。是非とも受け取っていただきたい」


厳仲子も譲らない。


「何か理由があるのですね」


不審に思った聶政が尋ねる。


厳仲子が威を正して話し始める。


「実は私には恨みを晴らさねばならぬ仇敵がいるのです。その本懐を達する助けとなる人を日夜探しており、義に厚いあなたのお噂をお聞きして、あなたになら頼めると思い、あなたと親交を結ばせていただいたのです。この黄金は男と見込んだあなたへの私の気持ち。どうぞお受け取りください」


そう言って厳仲子が頭を下げる。


しかし聶政、


「私が屠殺業のような卑しい職に身をやつしているのは、ただただ老いた母を養うため。母が健在である間は申し訳ないのですが、あなたの頼みを聞くわけにはまいりません」


厳仲子うなずく。


が、自分の在所を聶政に知らせ、「気が変わったら訪ねて欲しい」と言い置いて去っていきます。


****


それから数年して、聶政の母親が世を去った。葬儀を終え、母の喪が明けた聶政は厳仲子を訪ねることにした。


「厳仲子どのは韓の大臣という高位にありながら屠殺業に身を落とした身分卑しい自分と対等の付き合いをしてくれた。そればかりか、母の長寿を祝い、百金をも差し出そうとしてくれた。士は己を知る者のために死す。唯一の肉親である姉も嫁ぎ、今は自分を縛るものはない。ならば厳仲子どのの本懐を果たす助けとなろう」


遠路はるばる訪ねてくれた聶政を厳仲子は手厚くもてなします。


「以前、あなたの頼みを断ったのは母が健在であったがゆえ。その母も世を去り、姉も嫁ぎました。今はあなたの頼みを聞きましょう。あなたの仇はどなたですか?」


厳仲子、聶政の申し出に深く感謝の意を示し、


「私の仇は韓の大臣侠累(きょうるい)です。侠累は韓王の叔父であり権勢は盛ん。侠累と反目した私は侠累から害されることを恐れて諸国を巡っております。侠累を亡き者とせぬ限り、身の安泰も図れず韓にも戻れぬのです。あなたの助けが得られるなら人数を集めて侠累を襲う手はずを整えましょう」


聶政、答えて曰く、


「相手は韓王の叔父、なれば下手に人を集めれば、命の危険を犯すより厳仲子どのの計画を侠累どのに喋って礼金を得ようとする不心得者も出てきましょう。ここは私一人が侠累どのの元へ赴き、事を成すのが最善と考えます」


そう言って、聶政は一人侠累の暗殺に向かった。


韓の国に入った聶政は宰相府に赴き、大臣侠累との目通りを願った。それが許されたところを見ると、史書には記載がないが、何らかの手土産、取引の材料が聶政にはあったのだろう。


(注:史書によると目通りを願って断られたから門番を斬って捨てて宰相府に乱入して侠累を仕留めたとあるが、そんな雑なやり方では討ち漏らす恐れがあり、実際にはしなかったであろうと推察する)


侠累とまみえた聶政は、警護の者も含めて、すかさず侠累を剣で刺し殺してしまった。これも史書には記載がないが、聶政が剣の達人だったのは間違いなく、義に厚いだけでなく、智恵と勇気を兼ね備えた、古代中国の男子の理想像、智勇兼備の男だったのだろう。でなければ、警護の固い大臣を1人で暗殺しに行くなど考えにくい。


侠累を刺し殺した聶政はその後も警護の兵士と斬り結び、何人も返り討ちにした。が、大臣を暗殺して生きて宰相府を出られるとは、はなから思ってない聶政は、力尽きる前に自分の顔をすだれのように切り刻み、自害して果てた。


大臣侠累を殺された韓の国は大騒ぎ、しかもたった一人の人間に宰相府に乗り込まれて、首尾良く大臣を殺害されたとあっては国の面子も丸潰れ。報復のために聶政の親類縁者を捕らえて処刑したいところが、聶政が自分の顔を切り刻んで自害したので、どこの誰だか皆目分からない。仕方なく、韓の国は聶政の死体を市中にさらし「この者の名を知る者には千金を与える」とおふれを出した。


やがてこの話しは諸国に広まり、「世の中にはすごい奴がいるもんだぜ」なんて称賛と共に人々が盛んに噂しあったことだろう。


その噂はすでに嫁いだ聶政の姉の耳にも入った。


「韓の大臣侠累さまを殺したのは、もしや弟の聶政なのでは?」


その疑念に、いてもたってもいられず聶政の姉は韓の都に向かった。


市中にさらされた見るも無残な死体は、はたして聶政だった。体のほくろか何か、肉親でなければ分からない身体的特徴から判別したのだろう。


姉は聶政の遺骸に抱きつくと、声を上げて涙を流した。


「この男は我が国の大臣を殺した不届き者だよ。この男の縁続きの者と分かったら、どんな目に合わされるか知れたものじゃないよ」


泣き崩れる聶政の姉に、通行人が助言するかのように言う。


「これは私の弟、聶政です」


姉がきっぱりと言います。


「弟は男として見込んでくれて、母の長寿を祝ってくれた厳仲子さまの頼みを聞いて厳仲子さまの仇を討ったのです。士は己を知る者のために死すと言うではないですか。弟がこのように自分の顔を切り刻んで自害したのは、侠累さま暗殺の報復が私に及ばないようにするためです。されど、虎は死して皮を残し、人は死して名を残すと言われます。私がここで弟の名を語らねば、立派な行いをした弟の名は残りません。だから私は弟の名を名乗るのです」


そう言って、姉は聶政の遺骸の横で自害して果てたのだった。

 

・・・・

 

古代中国の人と現代の人との価値観は違う。何が立派であるかも違う。しかし聶政は当時の価値観で称賛される行動をし、姉は弟のその行為が弟の名と共に後世に残ることを自分の命より価値あるものと考えた。

 

史記などの史書には聶政に頼んで首尾良く仇を討ち果たすことができた厳仲子には人を見る目があった、なんてことが書かれてあるが、私にはそんなことはどうでもよく、一国の大臣、しかも王族に繋がる大臣を暗殺して、そこから始まる苛烈な報復に姉を巻き込むまいとして自害した聶政の姉想いの心、聶政のその心を知っても、聶政の名が後世に残ることを願い、自分の命を投げ出した姉の弟を想う心。そちらの方がよほど私の心には響く。だから、こうして聶政の話しをブログに書く気になったのである。