オリビア・ニュートン・ジョンを語りながら、今は使えなくなったトレード手法を語ろう
去る4月末日、正確に言うと2015年の4月だが、オリビア・ニュートン・ジョンのライブへ行ってきた。場所は渋谷オーチャードホール。元々はどこの会場だかは忘れたが、東京と大阪、名古屋で数回ずつ公演があり、それが盛況だったので追加公演が企画された。今回のオーチャードホールのは追加公演である。この追加公演に行ってきた。
オリビア・ニュートン・ジョンと言っても、今は知らない人が増えたので、ちょっと説明が必要だろう。
オリビア・ニュートン・ジョン。イルカが大好きな66歳のおばあちゃんで、若い頃は抜群の美人だった。整った顔立ちで表情も暖かみのある柔らかなものだったので、妖精と表現されることもしばしば。ちなみにオーストラリア出身の歌手で世界的に成功したのはオリビア・ニュートン・ジョンがはじめて。当時の写真を掲げる。
文句無しの美人である。
現在の写真も掲げておこう。
時間の流れとは実に恐ろしい。
それはともかくも、観客は中年男ばかりかと思っていたら、意外や意外。女のほうが多いんじゃないかと思える客の入りようだった。しかも母娘の親子連れも結構いるし、私の前の席にいたのは老婦人のグループだった。オリビア・ニュートン・ジョンの初期のヒット曲はカントリー調の聴きやすいものが多いから、女性ファンの多さはこの頃のヒット曲が理由だろう。とは言え、オーストラリア出身で英国でデビューした歌手が、米国でカントリーを歌ってヒットするのは、黒人でありながら演歌を歌ってヒットしたジェロに通ずるものがあるかもしれない。まあ、それは冗談だが、その後はジョン・トラボルタと共演した映画「グリース」が大当たり。映画出演はその後も続き、ミュージカルの名優ジーン・ケリーと共演したミュージカル映画「ザナドゥ」が公開されるが、映画自体は興行的に大失敗。にもかかわらず、ELOとカップリングしたサントラは大ヒット。かなり後になってから、このサントラの楽曲を元に同名のミュージカルが作られると言う、あまり聞いたことがない展開になる。これは映画に対する嗜好の変化が理由だろう。ミュージカル映画と言えば、それ以前はヒットする映画が多かったが、この頃を境にその流れが変わってきたようだ。ちなみに「ザナドゥ」公開の数年前に「スターウォーズ」の第1作が公開されて記録的なヒットになった。そうした理由以外にも「ザナドゥ」は映画としてより、舞台ミュージカルの方がしっくり来るんだろう。ミュージカルを見た訳ではないが、「ザナドゥ」の脚本を考えるとそんな気がする。そして「ザナドゥ」のあとはアルバム「フィジカル」が大当たり。表題曲「フィジカル」はビルボード10週連続1位、他にも1曲ビルボードのトップ10に入った。この頃がオリビア・ニュートン・ジョンのキャリアのピークだ。
その後も映画出演は続き、ジョン・トラボルタと再び共演した邦題「セカンド・チャンス」原題「Two of a kind」が公開されるが、これもまた興行的に大ゴケ。相変わらずサントラはヒットしたが、オリビアとトラボルタのファンなら見てもよいかと言えるレベル。ちなみにこのアルバムに収録されているオリビアの曲「twist of Fate」は個人的にはお気に入りの曲。オリビアの曲で最もヘヴィーなアレンジでアップテンポなのがその理由。それはともかくも、この作品はミュージカル映画ではヒットにならないと踏んだ製作サイドが、軽いラブコメディとして作った作品だが、脚本に印象的なポイントがなく、本当に小品と言う感じだ。ラストはそこそこお涙頂戴で、まあ悪くはないんだが、わざわざこの2人の出演で作る映画かと言える。
オリビア・ニュートン・ジョンの簡単な説明はここまでにしよう。オーチャードホールでの追加公演は驚かされることが多かった。予想していた客層の違いも驚きの一つだったが、元々私はこの手のコンサートだのライブだのには全く興味がなく、オリビアに限らず、他のアーティストの公演も今まで行ったことはない。プロフィールに好きなアーティスト、マイケル・ジャクソンと書いてあるが、マイケルの公演も行ったことはない。それが今回だけ行く気になったのはオリビア・ニュートン・ジョンの年齢だ。66歳のおばあちゃんでは来日公演はもう最後だろうという気がしたので、一度くらいは行ってみるかと考えた。
実際に公演がはじまると、オリビアの声量と高音の伸びに驚く。もう歳だから、若い頃の声量は落ちてるだろうと予想していたのが、充分な声量で良い意味で予想を裏切られる。歳をとると声も高いほうが出なくなるものだが、オーチャードホールに響くオリビアの歌声はそんなことなく、高音部が抜け切って実に爽快だった。毎日の欠かさぬボイストレーニングを感じさせるプロフェッショナルらしいパフォーマンスだ。ちょっと残念だったのはバックのバンドメンバーに、水槽入りでいいから、イルカを参加させてほしかったこと。そうすれば観客も意味が分かって受けてくれたろうと思えることだ。
私事で恐縮だが、オーチャードホールへ行く前にポジションを持った。これまではどういうわけかこういう娯楽の最中に相場をやって勝った試しはない。007カジノロワイヤルを見る前に持ったポジションは負けて損失となり、バットマン・ダークナイトを見ている時に持っていたポジションも負けだった。この2例だけだが、過去の実績はかくのごときで、今回も一抹の不安が頭をよぎったが、サインが出たので懲りずに参入した。幸いにもこのポジションは公演が終わると指値が入って利益となった。そして公演終了後、会場で販売していたパンフレットとCDを買う資金となってくれた。オリビアの歌声でいい気分なところへ、相場で勝つ充実感までも味わえたので、この日は寝るまで気分が良かった。これでオリビアが若い頃のままだったら言うことなしだが、それは無い物ねだりと言うものだろう。
話しはここで変わって、相場の話題に移ろう。
時の流れは様々なものを変えてしまう。
かつては絶世の美女だったオリビア・ニュートン・ジョンも時の流れと共におばあちゃんとなり、今ではその美貌も見る影は無い。
行く川の流れは絶えずして、また元の水にあらず。
万物は流転し、物事の全ては変化して行くのがこの世のならいだが、もちろんそれは相場にも言えることである。相場の値動きは常に変化してゆき、かつては有効だったトレード手法も、時の流れと共に使えなくなってゆく。今回はそうした過去には有効だったが、今では使えなくなったトレード手法を二つ紹介しよう。
例えば、HLバンドブレイクと言う手法がある。70年代に考案されたシステムトレードの手法で、考案者はリチャード・デニスとウィリアム・エックハート。この2人は全くズブの素人を短期間でトレーダーとして教育できるかと言う企画を思いつき、実際にやってみたことで有名だ。新聞に広告を出し、まるっきりの未経験者を募集し、書類選考と面接でこれはと思う人物を雇い入れ、トレード手法を教えて相場で資金運用させてみようと言うもので、こうして募集されたヒヨッコのトレーダー集団をタートルズと名付けた。その名の由来はリチャード・デニスがシンガポールを旅行した時に亀の養殖場を見た時のことを思い出し、「シンガポールで亀を育てるようにトレーダーを育ててみよう」と思いついたところから始まる。
長くなるのでタートルズに関する説明は省くが、テクニカル分析でHLバンドと言う ものがあるのは知っている人も多いだろう。これは過去20日間の高値の最高値と安値の最低値をチャートに書き込んでゆくもので、使い方は過去20日間の高値もしくは安値をブレイクしたら、ブレイクした方向へポジションを持つと言うものだ。つまり、高値をブレイクしたら買い、安値をブレイクしたら売りと言う訳だ。これがHLバンドブレイクと言うトレード手法である。買いと売りの両方があることから気づく人もいると思うが、これは株式市場で考案されたテクニカル分析もしくはトレード手法ではない。リチャード・デニスが商品相場で成功したトレーダーであることからも分かるが、これは商品相場のチャートを研究することで考案された。もっとも、タートルズに関する書籍を読んでいるとスイスフランも取引していたようだから、為替相場でも有効だったようだ。無論、リチャード・デニスが取引していたのはスイスフラン/円ではない。USD/CHF、ドル/スイスフランである。
リチャード・デニスはこの手法で億万長者になったのだから、確かにこれは儲かる手法だったのだろう。しかし、これは非常にストレスがかかる手法で、並の人間ではこの手法でトレードを続けることはできない。実際にもタートルズとなった素人たち、リチャード・デニスが事前審査でトレーダーの素質ありと見込んだ人々の殆どが、最初はこのシステムのルール通りにトレードできなかった。なぜなら、このシステムの勝率は30%前後で、システムが知らせる参入サインに忠実に従っていると10回のうち7回は損失に終わるのだ。システムトレードは勝率が低いほど、そのルールに従うのが難しい。勝率30%なのだから、7回連続の負けは普通にあると考えるべきで、実際には相場の値動きとシステムのマッチングが最悪の時は10回以上の連続負けもあり得る。これがこの手法の難しさで、7回連続して負けたらたいがいの人間はそこで心が折れてサイン通りにポジションを持てない。普通は3回でもダメだ。しかし、ポジションを持たなかった時にそのサインがダマシでなく、利益を生み出す値動きとなるかもしれず、もし、そうだったら利益を生み出す数少ない機会をフイにすることになるわけだ。さらには人間心理として、持ったポジションが利益となると、利益確定のために決済したいという心理が起きてくる。普通はこの心理に負けてポジションを決済してしまう。ところがHLバンドブレイクの場合、ポジションクローズのサインが出るまでポジションを持っていないと、7割の負けを埋め合わせて、さらなる利益を得るところまでいけない。この手法の難しさが理解できよう。
参考のために、このシステムの考え方を説明しよう。相場の値動きには必ず理由がある。相場を動かす理由がない時は小刻みに上下動しているだけのレンジ相場となる。このレンジの範囲を過去20日間の高値安値と見なし、相場を動かす材料が出れば、このレンジを超えて値が動くから、その時にポジションを持てば相場の大きな値動きを捉えることができるというものだ。この手法はレンジ相場から抜けた時に、相場が大きく動くことを前提としている。70年代くらいまでは実際そうだったのだろうが、その後、こうしたトレンドフォロー、相場の一方向への強い動きを捉える手法は相場つきが変わってしまって機能しなくなった。変わった理由はいろいろあるだろう。リチャード・デニスがタートルズにこの手法を教えた時、その後数年間はこの手法を誰にも教えないと言う条件をつけていたが、その数年が過ぎた後は、この手法がトレーダーの間に広まっただろうし、広まればストップ狩りの標的にもなっただろう。また第二次世界大戦後の復興と経済成長が一段落して、先進国が低成長時代に入ったことなども綺麗なトレンドが出なくなった理由かもしれない。とにかくこの手法は現在では有効ではなくなった。私もMT4、メタトレーダー4でプログラミングして、為替相場でこの手法が有効かどうかを検証したことがある。結果は現在の為替相場では機能しないと言うものだった。と言っても、他の相場では機能するかもしれないし、今は機能しなくても将来はまた機能するようになるかもしれない。相場は常に変化してゆくものなので、再び似た相場つきが再現しないとは言い切れないからだ。
最後にもう一つ、為替相場最大のイベント、米国雇用統計発表で用いる手法を紹介する。この手法もかつては勝率8割から9割の手堅い手法だったが、現在では雇用統計発表前の値動きが以前とは様変わりしているので使えなくなった。それを説明しよう。
この手法のポイントは、雇用統計発表前には相場参加者の殆どが様子見になって、値動きがほぼなくなってしまう状態を利用するところにある。時間が来て雇用統計が発表されると相場は急激に動き出すが、その動きは数分で1円以上と言う大幅なものだ。この静から動への極端な変化を利用する。具体的な方法はこうだ。雇用統計発表の5分前くらい、まだ値動きが大人しいあいだにその時点の価格から上と下に20銭ずらしたところに指値と逆指値の注文を入れる。入れる時はOCO注文で執行価格に達してポジションが出来た時に有効になる損切注文を20銭、利食注文を60銭にして入れておく。雇用統計発表前にこの二つのイフダンOCO注文を入れておけば、雇用統計発表と同時に自動的にどちらかの注文が入ってポジションが出来、その直後に利食注文が入って、60銭分の利益が確定する。指値、逆指値の両方の注文を入れるのは雇用統計発表後に価格がどちらに動こうともポジションを持つためである。ちなみに以前は値幅を大きく取れたが、数年前から、おそらく2011年だったか、この年の新年を境に為替相場のボラティリティが減少したおかげで、大きく値幅を取ることができなくなった。これも相場の値動きが時と共に変わってゆく実例だが、今説明した手法は去年の始めくらいまでは有効だった。しかし、その後雇用統計発表前の値動きが様変わりし、発表前でも大きく値が動くようになったので、この手法は使えなくなった。MT4を自分のパソコンにインストールしている人は過去5年分くらいの雇用統計発表前の値動きをチェックして欲しい。そうすれば、ここに説明した手法が本当に有効だったことを確認できるだろう。
ちなみにこの手法はイフダンOCO注文が可能になってから考案された手法で、どうやら多くの個人投資家がやっていたらしい。私自身はこれをやっている人には会ったことはない。また会って話してもその人が秘密にしていたのかもしれないが、私自身は人からこの方法を聞いた訳ではない。私がこの手法に気づいたのは実はFXプライムの個人顧客向けの注意書きを読んでである。2009年頃のFXプライムでは指標発表前に指値、逆指値注文を同時に入れないでくれと注意書きがあった。何故そうしてはいけないのか?、その理由はこう書かれていた。
「指標発表前に指値、逆指値注文を同時に入れるとカバー先のインターバンクに危険が及ぶから」
全く理解できない説明だ。インターバンクには常に買いと売りの注文が入っており、それが日常なのに、指標発表前に買いと売りの注文を同時に入れると危険なのだと言う。この注意書きを読んだ時、私は雇用統計発表時に使える売買手法と、FXプライムが盛大にノミ行為をしていること、さらにはこの会社はわずかでも顧客に勝たせるつもりがないことを理解した。この手法を実際にやっている人がある程度の人数だったから、こういう注意書きを載せたのだろうが、やぶ蛇だったようだ。何にしても嘘はよくない。
まあ、他にも私が体験したFXプライムの悪辣さはあるのだが、それはさておくとして、私は何社かにFX口座を開いて取引しているが、その会社の中でもFXプライムほど悪質なところはなかったと実感している。もっとも、それは伊藤忠商事がFXプライムを運営していた頃のことで、今ではGMOクリック証券に買収されてしまったから、多少方針は変わっているかもしれない。ともかく、FXプライムはKRUGだったかクルークだったか、そのような名前のFX情報サイトで読者投票で最も信頼できるFX会社1位にランキングされたことも過去にはあったのだが、その投票結果を見て「相場に手を出す人間の大部分は騙された状態で相場に参加しているのだな」と納得したことがあった。私が「相場なんかやめろ!どうせ勝てっこない!」と言うのは、こういう実際を知っているからである。とは言え、FXプライムが悪辣であったのは確かだが、個人向けFX取引が解禁になる前の株式を扱う大手証券会社、また商品先物を扱う中小証券会社はもっと悪辣で、はっきり言ってFXプライムの比ではなかった。それもいずれ語ることになろうが、今回はこの辺で筆を置こう。
今回のテーマは万物流転、絶世の美女も時と共におばあちゃんとなり、相場の値動きも変化してかつては有効だった手法も無効になると言う実にわびしいものだが、生と死、生まれ変わりこそ生命活動のテーマであり、これこそがトレンドでもある。生命活動のあるところ、トレンドは何処にでもある。そのトレンドを見つけて、それに乗るのが相場でも人生でも無難だと締めくくって、今回は終わることにしよう。
おっと、その前に次回は日本国のトレンドについて語るとしようかな?、つい最近国連が日本の将来に関して衝撃的な発表をしたので、それを題材にすることにしよう。
「不器用なおばちゃんの愛すべきお店」経済を学ぶ短編小説
もう20年も前のことだ。
私は学校の新築工事に携わっていて、何日も仕事でその学校を訪れていた。
その建築中の学校は辺鄙な場所にあり、昼御飯を食べる場所に困る始末だった。
だから、みんな車で遠くまで食べに行っていたが、私はその近くの歩いていける駄菓子屋みたいなパン屋で、パンとカップラーメンを買って昼御飯にしていた。その方が時間を節約できる。
私がカップラーメンを買うと、店のおばちゃんが毎回毎回店の奥でカップラーメンにお湯を入れてくれる。場所が辺鄙なので店は暇だった。だから、サービスでお湯を入れてくれた。
おばちゃんは「いつまで工事が続くの?」といつも気にしていた。工事が続いていれば、その間は少しは売り上げが増える。おばちゃんはそれを気にしていた。
何日か続けて、そこでパンとカップラーメンを買っていると、店のおばちゃんが
「いつもありがとうね。お湯いっぱい入れておいたからね」
にっこり笑って、私のカップラーメンにお湯を入れて持ってきてくれた。
カップラーメンに入れるお湯には規定量があって、それより多くのお湯を入れるとスープが薄くなってよろしくない。どうも、おばちゃんにはそれが分かってないんだけど、いつも買い物してくれる私にサービスのつもりで、お湯をいっぱい入れてくれたんだろう。
不器用で間抜けなおばちゃんだけど、常連の私にサービスして明日も、また次の日も来てもらおうと思ってるのは分かった。おばちゃんにも家族がいるだろう。その家族のために頑張って売り上げを増やそうとしているんだろう。そんなおばちゃんの心が察せられた。
めちゃくちゃ薄味になったカップラーメンをすすりながら、明日もおばちゃんの店へ買いに行ってあげようと思った。もちろん、その時はカップラーメンのお湯の規定量を説明してあげるつもりだ。
チェーン店のファミレスで食べるより、おばちゃんの店で買う方が個人商店を支えることになる。チェーン店の売り上げを増やしても大資本が肥え太って、代わりに個人商店が潰れていき、貧富の差が拡大する。それを考えれば不器用で間抜けなおばちゃんからカップラーメンを買った方がいい。カップラーメンの味が薄くなったとしてもだ。
私1人が個人商店を贔屓にしても大した支えにはならないが、日頃からみんなが個人商店を支えることを意識すれば、少しは個人商店を支えることができ、世の中もその分だけ良くなる。少なくとも悪くなるスピードを遅くすることはできるはずだ。
そんな思いで、その学校に仕事で行くたびにおばちゃんの店でパンとカップラーメンを買い続けた。
あれから20年、
かつて建築中だった学校の前を車で通る機会があった。ハンドルを握りながらおばちゃんの店を目で探した。
あった!
20年前と変わらぬ場所に店はあった。
ひと仕事を終えて遅めの昼御飯を摂る。おばちゃんの店まで車で乗り付ける。20年ぶりに見るおばちゃんは少し太って丸顔になっていた。肌のツヤも落ちて老けていたけど元気そうだった。今は学校の生徒が少しは売り上げに貢献してくれるのか、経営できるくらいの売り上げはあるようだ。
「いい天気ですねえ」
私のことは覚えてないかもしれないけど、フレンドリーに気さくに話しかけてくる。おばちゃんのサービス精神は相変わらずだ。
「お弁当が1つ残ってるけど、すき焼き弁当。どう?」
おばちゃんが勧めてきた。
時間は2時を回っている。この時間じゃ、もう売れるあてはあるまい。私は最後のすき焼き弁当を買うことにした。それと珍しいペヤングが売れ残っていたので、それも買う。あとはお菓子をいくつか買うことにする。もうおばちゃんの店に来る機会はないかもしれない。気持ちだけでも少し多めに買ってあげたい。でも、ペヤングにお湯を入れてもらうのはやめた。もう昔ほど若くないから、1人前の弁当を食べた後にカップ焼きそばまでは入らない。ペヤングは後で家で食べることにしよう。
途中、コンビニの駐車場ですき焼き弁当を食べた。多分、おばちゃんが手ずから作った弁当なんだろう。少し時間が経って脂が悪くなってるのか、食べてて戻したくなる悪寒を感じたけど、お茶で口直しして何とか食べ切った。それから数日してペヤングも食べた。
これが去年のことだ。
それからおばちゃんの店の近くに行く機会はない。もうこのまま2度と行くこともないかもしれない。でも、個人経営のお店を見つけたら、大手のチェーン店よりもまず先にその店に行くことは今後も続けるだろう。
私の行く店にお湯をいっぱい入れてくれるようなキャラの立ったおばちゃんがいたら楽しいな、と思いながら。
コロナウィルス感染が判明した病院の職員の子供が保育園で拒否されるのは差別なのか?
買い占めを悪く言う報道が多いが、よく考えてみると…
買い占めよくないと思ってる人は報道に乗せられている。
よく考えてみよう。日本政府は自粛要請しても休業補償は出来る限り払わないで済ませようとする政府。
もし、食糧や日用品が手に入らなくなって、家に備蓄がなくて明日の食べ物にも困る状態になっても、政府は絶対助けない。
政府や報道の言うことを聞いて買い占め・買い溜めしなかった人でも助けたりはしない。
だったら買い占めを控えて、もしもの時に馬鹿を見るよりも、買い占めして、もしもに備える方が理にかなった行動。
買い占めする人ってどんな人だろう。
転売目的の人も中にはいるだろう。だがそれが全てじゃない。
家庭の主婦なら子供のことを考えるし、家族のことを考える。日用品が不足するなら、それに備えようとするのが当たり前の主婦の考え方だ。
それは中国人だって変わらない。
1月半ばから2月半ばくらいまで中国人観光客のマスク爆買いで店頭からマスクが消えたが、中国は日本よりも親戚付き合いが濃密で、数も10倍くらい多い。
だから武漢で新型ウィルスが流行して中国国内でマスクが手に入らなくなってくれば、たまたま日本に旅行に来てた人が親類縁者のためにマスクを買ってあげようと思うのは、親しい親類縁者への思いやりとして当たり前のこと、日本人主婦が家族のことを思うのと全く同じだ。
ただ中国人の親類縁者は日本の10倍以上なので、1人でマスクを10個も20個も買って、すぐにも品切れになってしまうのが困ったところだ。
買い占めの大半は当たり前の行動であり、買い占めする人が自分さえ良ければいいと思ってるとか、常識がないと批判するのは妥当な論評ではない。
だが、買い占めによって品薄の商品が入手困難になってくる人も現実にいる。一人暮らしで昼間は働きに出てる人とか、共働きで働いてる家庭なんかは、品物を探して回る時間もないわけだから、そういう人たちは買い占めが起こると本当に手に入らなくなる。
逆に定年退職して暇のある人は孫や子供のために店を歩き回って品物を手に入れることもできるだろうが、その行動は家族への愛ゆえなのであり、非常識な人間なんて言われる筋合いはない。
では、どうすればいいのか?
台湾と韓国に答えがある。政府がマスクの供給を管理して買い占めを防ぎ、必要な品が国民全員に平等に行き渡るようにしている。こうすれば転売目的の買い占めも同時に防ぎながら平等な配布を実現できる。
これが理にかなった政策であり、本来政府がやらねばならない施策。だから批判されねばならないのは買い占めする人ではなく、やるべき施策を講じない政府である。
日本のマスコミは朝日も毎日も東京新聞も、本質は常に政府の擁護だから、政府の批判そっちのけで「買い占めは良くない」と報道する。
これは買い占めする人をスケープゴートにして政府の責任をうやむやにする効果がある。こうした報道に影響された人は買い占めする人を叩いたり、自粛要請に従わず営業を続ける商店なんかを叩き始める。
それによって政府側は本来強制力のない要請と言いながら、社会的制裁を持った事実上の命令を下すことができる状態となる。しかもその制裁について責任を取る必要がないと言うとても美味しい状態だ。
買い占め批判とか自粛破り叩きとか、どれだけ政府の肩を持つつもりなのかと言いたくなる。文化大革命の紅衛兵の行動と何の違いがあるだろう。
右だろうが左だろうが、報道に踊らされた人は体制にいいように利用されると肝に銘じておかねばならない。