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朝日新聞が民主主義・選挙を大切だと思ってなく、体制側擁護の新聞だと分かる記事。

2021年3/21の小金井市議選で、開票立会人が不正の有無を見定めるために投票用紙をしっかり吟味していたら選挙結果の確定が明け方までかかった。

 

それがこの記事。WEB魚拓は取れなかった。


https://www.asahi.com/articles/ASP3Q2CWMP3PUTIL03L.html

 

記事中では、同じ開票立会人の感想「日付が変わる頃には終わると思っていた」を載せたり、「開票が確定しないので記者が1人また1人と帰っていった」とか、「同日開票の千葉県知事選は12時過ぎには開票作業がほぼ終わっていた」とか、開票立会人のしっかりした確認作業を迷惑行為やそれに近いものと印象付ける書き方をしている。


この記事の書き方は21世紀初頭から始まった総務省の開票作業の方針、スピード開票に沿った書き方。言うまでもないが、開票業務で最も大切なのはスピードではなく、不正がないかどうか。スピード開票の方針は最も大切な不正のチェックをおざなりにしてでも、開票を早く終わらせることを重視している。


さて、小金井市議選が例として出てるので、これを材料に開票立会人のチェックを考えてみよう。


小金井市有権者は10万人。投票率が約40%だったので4万枚あまりの投票用紙があったことになる。開票立会人は10人だから、1人あたり4千枚の投票用紙を確認せねばならない。


開票作業は9時から。最初は各投票所から集まってきた投票用紙を完全にごっちゃにして、どこの投票所の投票用紙か絶対に判別できないようにしてから集計を始める。こんなことせず、投票所ごとの投票結果が分かれば、他と著しく異なる投票傾向が出た場合に原因の究明がやりやすくなるのに、そういうことはする気がないようだ。


期日前投票も当日の各投票所の投票用紙もごっちゃにする作業があるので、集計して500票の束になった投票用紙が開票立会人の元へ来るのは9時半頃。とは言え、投票用紙の束はまだまだ少なく、本格的に立会人の元へ次々運ばれてくるのは10時くらいから。そこから深夜12時くらいまではキリよく見積もって2時間。開票立会人はおおむねこの時間内に投票用紙を確認することを求められる。


1人あたり割当投票用紙4千÷2時間


で計算すると開票立会人が1時間で確認せねばならない投票用紙は2千枚。投票率40%だからこの枚数だが、投票率60%になれば1時間に3千枚確認せねばならない。1時間に2千枚の投票用紙を確認する場合、1枚に費やせる時間は、


3600秒÷2千で1.8秒


これで意味のある確認作業になるとは冗談が過ぎよう。時間を最大限に利用して9時ジャストから確認作業が始まると考えて3時間で計算しても、


4千÷3=約1333、3600÷1333=約2.7


投票用紙1枚の確認に費やせる時間は3秒ない。


この計算で分かる通り、開票立会人がちゃんと投票用紙を吟味すれば、確認作業が明け方までかかるのは当たり前のことなのだ。


今までありとあらゆる選挙で、開票立会人はちゃんと票をチェックしてこなかったと言えるが、それは日本に不正選挙はないと言う先入観や思い込み、不正防止作業の重要性の無理解、選挙管理委員会からの要望もしくは指導で「このくらいのスピードでチェックしてください」とのお願いを無批判で受け入れてるところが大きい。


国連には選挙監視団という組織がある。これは取りも直さず選挙には不正が付き物であるからだが、面白いことに日本では外国の不正選挙疑惑が報道されることはない。過去にはサッチャー政権下の国政選挙で不正選挙があったとの疑惑が強くて、無視できない相当数の英国人が抗議活動してたそうだが、日本の大手マスコミで、このことが報道されたことはない。全然報道されないからこそ、開票立会人になる一般人も不正のチェックという意識が希薄になる。それで選管の言いなりになって、投票用紙の吟味がおろそかになる。


今回の朝日新聞もこの路線で、不正のチェックのために開票立会人がいるという大前提には全く触れず、時間をかけた投票用紙の吟味は迷惑行為扱いとして記事を書く。


民主主義・選挙の大切さ、不正はあってはならないことを理解してるなら、今回の記事は


「選挙は不正のチェック・抑止も大切であり、そのためには開票立会人の確認作業をおろそかにして短時間で済ます訳にはいかない。そこで投票結果の確定を早く実現したいなら、なおかつ不正のチェック作業を犠牲にしないようにするには開票立会人を大幅に増員して、開票立会人1人が受け持つ投票用紙の数を減らして充分な吟味ができるようにするべきである」


という結論で締められなければならない。


そうでないのだから、これも偏向記事の1つと見なしていい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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廉頗(れんぱ)と藺相如(りんしょうじょ) 、戦国時代の男の手本

廉頗(れんぱ)・藺相如(りんしょうじょ)、


この2人は秦の始皇帝が中国を統一する前の戦国時代、KINGDOMの時代よりも前の時代、強国秦と国境を接する趙の将軍と宰相である。


この2人には後世に語り継がれるエピソードが多い。特に藺相如は「史記」の作者司馬遷が殆ど最高評価とも言える評価で書き記した人物。

 

まず藺相如だが、完璧と言う言葉の語源は藺相如に由来する。


その昔、趙の国に「和氏の壁」(かしのへき)と言う宝玉があった。玉とは今で言う翡翠(ひすい)で見事に輝く大きな宝玉を和氏の壁と言い、その当時の中国全土に名宝として知られていた。


ある時、秦の昭㐮王が趙王に「和氏の壁と我が国の15の城とを交換しよう」と持ちかけてきた。この当時の中国の城は城塞都市で、15の城との交換は領土割譲に等しい。


悪い条件ではなかったが、和氏の壁を渡しても15の城を割譲してくれる補償はないし、最初はそのつもりでも途中で気が変わるかもしれない。その時、秦より国力の劣る趙は泣き寝入りせざるを得ない。かと言って、無碍に断るのも後々何らかの報復として返ってくるかもしれず、趙王もその群臣も秦王の申し出に頭を悩ませていた。


議論百出して結論が出ない中、宦官長官が「私の食客に藺相如というものがおります。この者ならあるいはこの問題を上手く解決出来るかもしれません」と趙王に述べたところ、趙王は藺相如を呼ぶように命じた。


趙王の前に呼ばれた藺相如は言います。


「秦は強く趙は弱い。この話しは受けざるを得ません。しかし秦が約束を反故にするようならば和氏の壁は趙に持ち帰りましょう」


趙王は藺相如の説明に頷き、和氏の壁を持たせ、数人の従者と共に秦へと送り出した。


秦の都、咸陽にたどり着いた藺相如は和氏の壁を携え、すぐにも秦王に目通りすることになった。和氏の壁を秦王に渡すと、秦王はその場に列席する後宮の婦人たちに見せびらかし始め、一向に割譲する15城の話しをしようとしない。秦王に割譲の意志はないと見てとった藺相如は


「秦王様、壁にはわずかに傷がございます。その傷をお教えしましょう」


と言い、壁を己が手元に戻すと勢い良く壁を頭上に振り上げ、まさに床に叩きつけんとする素振りを見せた。


驚いた秦の廷臣一同に向かって藺相如は、


「趙王は私に壁を持たせる時、5日間の斎戒をし汚れを祓いました。これは秦国の威厳を尊重してのこと。しかるに秦王は壁を手にするや後宮の美姫たちに見せびらかし、礼を払おうとしない。これは趙国を侮っている証拠。秦王に割譲の意志はないと見てとりました。故に壁は返してもらったのです。もし壁を取り返そうとするなら、私の頭と共に壁をこの柱に叩きつけて粉々に砕いてみせましょう」


その言葉に慌てた秦王は地図を持ってこさせて言う。


「ここからここまでの15城を趙に割譲しよう」


しかし、その言葉は口先だけでいまだ割譲の意志はないと見てとった藺相如は、


「和氏の壁は天下の至宝。秦王様も5日間の斎戒をしていただく必要があります。5日間の斎戒の後、壁は献上いたしましょう」


藺相如の壁を砕きかねない勢いに秦王、なだめて言う。


「わかった。そなたの言う通りにしよう」


秦王と藺相如の会見はそこで終わった。


その晩、藺相如は従者に密かに和氏の壁を持たせ趙国へ送り返した。


五日後、斎戒を終えた秦王の元に藺相如がまみえます。


「趙国の使者よ。和氏の壁をこれへ」


秦の廷臣がそう促すと藺相如は


「和氏の壁はすでに趙国へ送り返しました」


「なんだと!」


「秦は穆公(ぼくこう)以来、約束を堅守した王はいません。よって私は騙されて和氏の壁を取られることを案じて、壁を趙国へ送り返したのです。秦は強く趙は弱い。秦国が先に15の城を割譲するなら、どうして趙国は壁1つで秦王の機嫌を損なうようなことをしましょうか」


藺相如の言葉に秦王は言い返せない。


「されど私は秦王をたばかりました。なんなりと罰していただきたい」


興奮した秦の廷臣たちが藺相如を捕らえんとするも、秦王が言う。


「藺相如を殺しても壁は手に入らず、両国の友好をいたずらに損なうのみ。城は割譲しよう。この者は趙へ返してやれ」


こうして藺相如は和氏の壁を秦に渡すことなく、趙国の威厳を保ち、趙国へ戻ってきた。その後、秦は趙へ15城を割譲しなかったし、趙も和氏の壁を秦に渡さなかった。


これが完璧の語源。壁を完うする。難しい任務を完全に果たすことから来た言葉。


蛇足だが、過去の秦王、秦の穆公(ぼくこう)は秦を強国とした名君。


「隣国に聖人あるは自国の憂いなり」の言葉が有名。


意味は隣国の優秀な人材は自国の脅威であると言うことで、秦の西方の辺境西戎(さいじゅう)から由余(ゆうよ)と言う人物が秦に使者として訪れた時、由余と歓談してその人となりを知った穆公が言った言葉。


由余のような優れた人物が隣国にいるのは決して秦国の利益にはならない。そこで穆公は一計を案じ、由余を手厚くもてなして秦国に留めると同時に、若くて綺麗な宮女達に歌と踊りを仕込んで早い話しがAKB48を作り、隣国の王様にプレゼントした。案の定、隣国の王様は女に溺れ政務をおろそかにして堕落してしまい、堕落し切った頃に秦国から帰った由余が王様にあきれ返って見限り、秦へと亡命してきた。こうして穆公は人材を集め、のちに始皇帝が中国全土を統一する足がかりとなる強国秦を育てた。これが春秋戦国時代と呼ばれる中国古代史の春秋時代の話し。


話しは戦国時代の藺相如に戻る。


和氏の壁の一件で趙国の利益を守り切った藺相如は趙国で重用されることになった。それからしばらくして、秦王から秦国内の澠池(べんち)と言う土地で秦・趙両国の友好を祝う祝宴をあげようと誘いが来た。


行かなければ趙の弱さを晒すようなもので、秦はさらに横暴となり、他の諸国からの侮りも受けかねない。しかし行けば無事に帰ってこれるかも分からない。悩んだ挙句、趙王は澠池の祝宴に行くことにする。と同時に王にもしものことがあった場合、王太子を即位させ趙王とする段取りをも決めて、もしもの備えとし、藺相如が趙王に付き従って澠池へ行くこととなった。この事件を澠池の会と言う。


澠池に到着すると祝宴が開かれた。祝宴もたけなわの頃、秦王は趙王に琴を弾いてくれと所望した。その所望が三度に及び、趙王は一曲弾いた。弾き終わると秦王が書記官に言って「秦王が趙王に琴を弾かせた」と記録させた。趙の威厳をないがしろにする行為である。


藺相如はそばにあった瓶を手に取ると秦王の前に跪いた。


「秦では宴会で瓶を叩いて歌うと聞いております。両国の友好のために1つ秦王にも瓶を叩いていただきたい」


秦王怒りて叩かず、すると藺相如、


「今、私と王の距離は5歩のうち、願わくばこの瓶に王の血を注がん」


と言い、腰の剣に手をかける。秦王の廷臣色めくも、藺相如の気迫の眼光に動けず。仕方なく秦王は瓶を一度叩いた。藺相如、趙の書記官に振り返って言う。


「秦王は趙王のために瓶を叩いた」


書記官、記録する。


祝宴は進み、秦の廷臣が


「秦王の長寿のために趙の15城を献上されよ」


と言った。藺相如応じて答える。


「ならば趙王の長寿のために秦の首都咸陽を献上されよ」


秦の臣、答えられず。


藺相如は祝宴の最中、秦の圧力を跳ね返し、趙の面子と威厳を守り続けた。


この澠池の会の後、趙王はこれまでの藺相如の功績に報い、宰相(大臣最高位)に任じた。位階は廉頗将軍の上となった。


歴戦の勇将、廉頗将軍はこれが甚だ不快だった。


「藺相如は口舌の徒に過ぎぬ。しかも卑しい宦官の食客だった男。それが舌先三寸の功で、野戦攻城で功を成した俺の上に来るとは言語道断。藺相如と顔を合わせたら必ずや恥をかかせてやる」


廉頗のこの言葉を伝え聞いた藺相如は病気と称して参内せず、廉頗と顔を合わせるのを避け続けた。


それからしばらくして、藺相如の門人達が藺相如の元を去ると言い出した。


「私どもが郷里を離れ、あなたにお仕えしてるのは、ひとえにあなたの高義を慕ってのこと。しかるにあなたは廉頗将軍と肩を並べる地位にありながら、廉頗将軍と会うことを避け続け、かたや廉頗将軍はあなたの悪口雑言をことあるごとに言い募っている。これでは臆病者のそしりは免れません。おいとまさせていただきとう存じます」


去ろうとする門人たちに藺相如が言う。


「廉将軍は秦王より強いか?」


門人答えて曰く、


「いえ、秦王には及びません」


「私はその秦王を秦の多くの廷臣の前で威圧し、辱めたのだ。どうして廉将軍を恐れようか。しかし私はこう考える。秦は強く趙は弱い。その秦が趙に攻め入ってこないのは、趙に私と廉将軍がいるからではないか。私と廉将軍が争えば両虎相打つように、どちらも無事ではすまぬ。私が臆病者とそしられようとも廉将軍を避けるのは趙国の危機が念頭にあるからで、それと比べれば個人の名誉や恥など何ほどのものであろう」


門人、藺相如の言葉に皆心服す。


この話しは噂となり、やがて廉頗の耳にも入った。すぐさま廉頗は馬に飛び乗り藺相如の館までやってきた。


「宰相どの、兵卒の廉頗にございます。宰相どのの深き考えに思い至らず、宰相どのへの無礼の数々、どうか愚かなる廉頗めに存分に罰を与え給え」


廉頗はそう言うや、肌脱ぎになって相如の前に持参の鞭を差し出す。


「将軍、そこまでせずともよいのです。我ら2人とも趙国を守る臣、たまたま行き違いがあっただけではないですか」


「宰相どのの心の広さになんとも恥入る次第。あなたのためなら例え首をはねられても悔いはござらぬ」


「将軍、ならば我ら共に首をはねあうことがあろうとも悔いを残さぬ誓いを結びましょうぞ」


廉頗は頷き、2人はそこで互いの首を刎ねあっても後悔はないと誓いを立てた。例え立場が変わり敵味方となって相手の首をはねる境遇となろうとも恨みはないと言う誓いである。


これが刎頚(ふんけい)の誓い、刎頚の交わりと呼ばれる故事である。


この後、廉頗と藺相如は終始互いを尊重し合い、争うことはなかった。そして秦国も両者が健在のあいだは趙へ攻め入ることはなかった。


これがKINGDOMより前の時代のこと。藺相如も廉頗も死んだ後、KINGDOMの時代には趙に李牧という名将がいた。が、名将李牧も秦の宰相范雎(はんしょ)の策、「人を攻めよ」の策で非業の最期を遂げる。最後に残った人材の死と共に趙国は滅んだ。

コロナは存在しないの意見にそれは陰謀論と否定する論への考察

コロナは存在しないの主張があり、それに対してそんなのは陰謀論だの主張がある。これに関して考察する。

まず、コロナは存在しないの主張には根拠となる情報がある。

米国やドイツの相当数の医療従事者からコロナじゃなくてもコロナ死にカウントしてるとの指摘が出てるし、米国上院議員からも死亡診断書にコロナと書けば補助金が出るようになってると指摘する発言がある。イタリアでもコロナ死にカウントされてるものの大半は別の死因だったの指摘がある。

さらにはPCR検査の信頼度に関しても疑義が提出されている、PCR法開発者自身がPCR検査はウィルス感染症の診断には使えないと発言してるし、ファイザー製薬の元副社長もPCR検査による陽性は殆ど偽陽性で、感染の有無を判定するものではないと発言している。そもそもPCR検査自体、微細な遺伝子断片を発見するためのもので、ウィルス感染で生じる抗体反応を調べるものではない。

これらの情報を組み合わせて総合的に判断するなら、コロナは存在しないの仮説が出てくるのは特におかしいわけではない。実際、コロナウィルスを分離した人はまだいないと言う、そのものズバリに近い情報もある。

したがって、もしコロナは存在しないの主張に反論したいなら、上に挙げた「コロナは存在しない」の主張の根拠となってる情報にあたって、その情報の信憑性を崩したり、論理的な破綻がないかを検証すればいいのだが、そういう論理展開を見せてくれる反論には今まで1度もお目にかかったことがない。

これまでの説明を念頭において考えれば分かるが、「コロナは存在しないは陰謀論だ」の主張にはなぜそう考えるかの根拠になる情報の提示がない。根拠となる論理の提示もない。だから「コロナは存在しないは陰謀論だ」の主張を噛み砕いて説明すると、「私はコロナが存在しないとは思わない」くらいの意味しかなく、個人の感想の域を出ない。

しかも全く何も考えずに印象だけで判断しているのだろう。頭を使って考えてるなら、その思考の道筋の説明くらいはするはずだ。その説明が妥当かどうかは別としてもだ。だが、その説明すらもないのだから、何も考えずに印象だけで判断してると見ていい。無論、そんな主張は読むだけ時間の無駄である。

陰謀論だからと言う理由をつけて何かを否定する主張は他のトピックでも見受けられる。例えば、今年の春、俳優の三浦春馬の死が自殺として処理されたが、この事件も興味深い例として挙げることができる。

詳しい説明は省くが、本当に自殺なのか疑問を感じさせる報道ではあった。そこで三浦春馬自殺偽装説、他殺説がネットで賑わった。それはそれでいいことだ。報道を鵜呑みにして何も疑わないよりは、疑って深掘りする人がいた方がいい。哲学者デカルト言うところの方法的懐疑を実践している訳だから、当たってる当たってないは別としてこうした作業には意味がある。それを陰謀論者などと批判する人間の方が分かってない。

三浦春馬自殺報道の後も竹内結子をはじめ、三浦春馬と個人的な繋がりを持つ自殺者が何人も続いた。それに関する説明は省くが、私の興味を引いたのは「三浦春馬を殺して自殺に擬装したのはCIAだ。目的は口封じ」なる主張が出てきて、それは陰謀論だと否定する人がSNS上でまあまあの数見受けられたことだ。

少し考察してみよう。CIAが三浦春馬を殺したのだろうか?それは証拠不充分でよく分からない。だが、CIA側に理由があれば、それもあり得るかもしれない。マリリン・モンローの変死はCIAの仕業とする話しは広く流布されてるし、さらに他の情報と突き合わせて「三浦春馬CIA暗殺説」が仮説として組み立てられたと考えることができる。しかし、この仮説が事実として証明されることは、おそらく永久にあるまい。秘密工作をやってる国家機関の活動情報が公にされることはまず無いし、米国の情報公開法は請求された案件のみに公開が検討される。数十年後に三浦春馬の件を情報公開請求する人がいるとは思えない。

だが、このことは三浦春馬CIA暗殺説は陰謀論だと否定する側にも言える。CIAのような秘密工作をしてる国家機関が、何をやって何をやらないかなど一般人に分かるわけがないのだから「CIAが三浦春馬を暗殺した」に反論しても、それを証明する証拠など、どこにもありはしない。

ようするに「三浦春馬CIA暗殺説」もその否定も、仮説でしかないのだが、陰謀論だと付け加えて否定する人は「コロナは存在しないは陰謀論」の主張と同じく、なぜそう考えるのかの根拠となる情報を提示しないし、根拠となる論理も提示してない。結局、どんなトピックでもそれは陰謀論だと否定する主張は、何の根拠も示さない個人の感想でしかない。

ここまで考察すれば、陰謀論なる言葉の用語法が分かってくるだろう。何の根拠もない個人の感想をそのまま述べても説得力が期待できないので、説得力を補強するために陰謀論なる言葉を付け足して使うのである。そうすれば何となくもっともらしい否定に感じられるから不思議だ。だが、そう感じるのは所詮錯覚に過ぎず、実際には根拠も何もない無意味な独り言レベルの主張でしかない。

個人のSNSでよく見かけられる「それは陰謀論だ」と言う否定論だが、それが個人のSNSであればそれも仕方のないことなのかもしれない。SNSをやってる人の全てが高い思考能力を持ってるわけではないだろうし、人間の平均的な思考能力がどの程度かを考えれば、こんなものなんだろうと思う。

しかし、影響力の大きい大手メディアがこういう主張をするようでは問題だ。困ったことに、そのようなことが現実に起こっている。

トランプ大統領が予備選で不正選挙が行われたと発言するたびに、CNNは「そんなの陰謀論だ」と主張する。もちろん、なぜ陰謀論と見なすのかその理由は語らずにだ。

世界中にニュースを発信してるメディアが、個人のSNSの、どちらかと言えば質の低い方のSNSの投稿と同じことを言ってるようでは困るのだが…

コロナ自粛をやめれば人を救える

自粛して収入低下した人には給付金出せばいいと言うが、白紙領収書で国家予算着服しているような連中、それでいて生活保護を減らすような腐敗した政権が充分な給付金を出すと本気で信じてるのだろうか?出すわけない。それは指摘されるまでもなく最初から分かってるはずだ。

原発事故後のパブリックコメント原発廃止の意見が8割以上でもパブリックコメント無視。自衛隊の海外派兵を認める戦争法案で国会包囲するほどの反対者がいても、その反対運動をテロみたいなものと言って無視。国民の意見なんて聞く気がないのが、この国の政府の実績だ。そのような政府に給付金出せと言っても聞くわけはない。店舗や企業に助成金出すと言ってるが、あの程度の額では末端の労働者には届かない。店舗や企業とは別に給付金を支給せねば自粛で困窮する人はいなくならない。それなのに自粛で困ってる人のために給付金を出せと言い続けることに意味があるだろうか?実質何の解決にもなってないし、自粛で困ってる人の困難な状況は何も変わらない。

集団免疫戦略を採ったスウェーデンと比べると、日本のコロナ死とカウントされてる死者はスウェーデンの半分以下。スウェーデンが集団免疫戦略を採用した時点では10分の1以下だったと思う。とにかく格段に少なかったのは確かだ。

つまり日本はスウェーデンより集団免疫戦略に向いている。

実施すればスウェーデンより良好な結果も期待できるはずだ。したがって、自粛をやめて集団免疫戦略に移行するのは特に極端な意見ではなく、極めて理性的な理にかなった意見である。どのメディアも集団免疫戦略を語らないのは逆におかしい。そして語られないからこそGOTO利権が作られて、自民党お得意の国民の利益より自分の利益に重点を置いた政策が実施されたと言える。

原発問題でもそうだったが、コロナでも大手メディアは合理的な政策を語ろうとしない。

自粛をやめる集団免疫戦略を採用すれば、自粛によって経済的困窮、挙げ句の果てに自殺する人や、貧困に陥いる人を激減させることができる。給付金を出すことで莫大な債務を作り出し、財政破綻の危険性を増やしたり、財政破綻を早めることもない。GOTOのような腐敗政治を生み出すこともない。集団免疫戦略は他のどのような政策よりも最も理にかなっている。悪しき副作用がないからだ。

とは言え、コロナの死者が増えたらどうするのだ?と言う意見もある。これに関しては以前から指摘されてるが、高齢者が大半でコロナ以前もインフルエンザによる高齢者の死者がかなりの数いたが、今まで一度も問題にされてない。なのにコロナだけ問題にされている、と言うのがある。

後遺症も同様で、インフルエンザにもインフルエンザ脳症と言う重篤な後遺症があるが、これまでの報道でこれをしつこいくらいに報道することはなかった。他の疾病の後遺症も同様だ。それがコロナだけはことさら強調して報道されている。

後遺症に関して興味深いのは世界最多の感染者数・死者数と言われる米国からは後遺症の話しが伝わってこないことだ。世界最多の感染者数なら、後遺症発症者数も世界最多なはずで、社会問題になってなければおかしい。

くわえて我が国での後遺症の報道は記者が書いた記事がほとんどで、現場医師や医学研究者がコロナの後遺症に言及してる具体例を私は知らない。私が知らないと言うことは、つまり大手メディアではほぼ見つけられないと言うことでもある。

例えばつい最近の読売新聞でコロナ後遺症でひどい脱毛症になってる女性のことを記事にしてたが、読者には事実かどうか検証不能な記事だ。新聞社に「この女性の名前と住所もしくは電話番号が知りたい、直接話しを聞きたいから」と頼んでも「個人情報は教えられません」で突っぱねられて終わりだろう。

こういう記事には高い信頼性はおけない。検証不能であるが故に嘘をついてもバレないからだ。だから「そんな記事もあったね」くらいに覚えておくしかない。

コロナに関する報道は明らかに偏向がある。影響力の大きいメディアからは集団免疫戦略が殆ど聞かれないし、PCR検査の陽性反応を最初の時点では陽性反応者と言っていたのが、いきなり全てのTVニュースがほぼ同時に感染者と言い換えたりと、なぜそうなるのか疑問を感じさせる例が頻繁に見受けられる。

緊急事態宣言が出る前から、コロナ後の世界はそれ以前と違うとか、コロナ後のニュー・スタンダード、ニュー・ノーマルなんてことを語る記事がちらほら見受けられた。明らかにフライング気味の記事だが、これらの記事を書いた記者は飲食業壊滅、旅行業壊滅、マスクしてないと入店拒否される社会を望ましい未来だとでも思っていたのだろうか?

なぜ大手メディアの検証不能な報道を信じるのか?目の前の検証可能な事実を軽んじてはならない。自分の身の回りでコロナ死者が何人いる?重傷者が何人いる?陽性反応の人が何人いる?無症状でも後遺症という馬鹿げた話しが報道されていたが、後遺症と思える体調不良を訴える人が身の回りに何人いるのか?

ほとんどいないではないか!そして、これが自分の目で確かめることができる確実な事実だ。確実な事実をベースにして、大手メディアが語る情報を吟味する。それが最も理にかなった結論を得る最良の方法である。

そして出てくる結論は一つ。コロナの感染力は大したことない。コロナの致死率は大手メディアも報道してるが大したことはない。重症化した場合の治療法が確立されれば何も恐れることはない。治療法・治療薬はすでにいくつも提言されている。だとしたら、経済的に困窮者が大量に出る自粛はコロナ対策としては副作用が有害すぎる。自粛で自殺者が増えるなら、それもコロナによる死と考えて、そのような人が減るようにして、合算の死者を少なくするのが正しいコロナ対策だ。

さらには自粛してる限り、いつまで経っても免疫がつかず、自粛を続けねばならない。ウィルス感染症は弱毒化していくのが必然なのだから、弱毒化に合わせて集団免疫戦略に移行するのが、ワクチンの必要性をなくし、ワクチンの副作用の害をも未然に防ぎ、余計な財政支出も防止できる最も合理的な対応である。

あらゆる観点から見て集団免疫戦略が最も理にかなっている。だからこれまでのインフルエンザでは自粛などという馬鹿なことはしなかったし、それで社会が受ける損害が最小になっていた。

人を救いたければ自粛なんか今すぐやめることだ。所詮マスコミが煽るコロナ怖いに毒されて自粛してるんだから、結局自分可愛さからの弱者切り捨てでしかない。

麻生太郎や大西つねきは現役世代の負担になるから高齢者死ね、みたいなこと言って、命の選別と批判されたが、今回は高齢者を守るために現役世代を死に追い込む、対象が逆になった命の選別だ。給付金なんか出す政府じゃないんだから、命の選別をやりたい奴は自粛すればいいし、したくない人は自粛をやめればいい。

とは言え、こう言っても自粛やめる人はいないだろうなとは思う。

コロナウィルス第二波は恐れる必要なし

伝染病ウィルスは何故弱毒化していくのか?


実はこれはウィルスの進化原則に則った当然の現象。


ウィルスのような単純な生物類似物は遺伝子を変化させることで環境対応の進化をしてゆくが、遺伝子の変異は特別何かをしなくても10万回に1回の割合で増殖の際に遺伝子配列に変異が生じる。単純なコピーミスだが、これが進化の原動力となる。その変異が有用なものなら、その変異種はより多く増殖してやがてその種の中心となり、無意味または有害な変異ならその変異種が広がることはない。


抗生物質耐性菌はこのようにして生まれる。


抗生物質によって99%の細菌は死ぬが、残りの1%の死ななかった細菌の中にごく稀に抗生物質を栄養にしてしまう遺伝子改変が発生する。その改変が発生した細菌はもう抗生物質では死なないから、それまでの同種細菌の遺伝子は抗生物質で駆逐され、変異した同種だけが増殖してゆく。こうして耐性菌が生まれる。


病原性の強いウィルスも同じメカニズムで弱毒化する。宿主を殺してしまうウィルスは宿主を死に至らしめた時点で、それ以上の感染機会を失う。通常、ウィルス疾患で死に至る場合、宿主の症状が重篤化した時点で宿主の活動性は失われ、その点からも感染機会は激減する。だが毒性が弱く宿主を殺さないウィルスは宿主の免疫がウィルスに勝つまでは、宿主が活動を続け、感染機会が常にある。


こうした弱毒化は10万回に1回のアトランダムなコピーミスによって生じるが、ウィルスの増殖速度は細菌の比ではないのでより早く10万回の増殖に達する。


ウィルスにとって最も都合の良い増殖戦略は宿主を殺さずに感染してゆくことだが、これはウィルスがこの戦略を採用してるのではなく、適者生存の進化原則・自然淘汰により、強毒性の同種ウィルスより弱毒性のものが、より感染機会に恵まれることから来る当然の帰結である。


このような生物進化の原則、自然法則から病原性のウィルスの第二波流行は第一波より弱毒化する。


飛沫感染以外見受けられず感染力が弱い、また致死率も極めて低いコロナウィルスの第二波は気にする必要もないはずだが、マスコミの報道は自然法則を無視して「第二波が〜第二波が〜」と恐怖を煽る報道を続けている。


もし第二波が強毒化してるなら、ウィルスの人為的改変を疑う必要があるだろう。

営業自粛してないお店を叩くのは間違い、叩くべきは政府

営業自粛してない店舗叩いてる人が多いんだが、叩く場所が違う。


叩かねばならないのは休業補償しない政府。補償の財源はコロナ対策臨時特別資産課税で富裕層の資産を徴収すればいい。


貧富の差解消にもなって欠点ゼロの政策だ。

究極の虫歯予防、口内の虫歯菌を全滅させよう!

虫歯を無くすには虫歯菌を殺してしまう事。


だけど普通は殺菌作用のあるうがい薬でうがいしても虫歯菌は根強く残っている。これは歯と歯茎の間に潜んだ菌にはうがいでは効果がないから。


これをドルツのようなジェット水流噴射型歯磨きを使って、消毒液を混ぜた水で歯と歯茎の間を殺菌すればうがいでは死ななかった菌も殺菌できる。


これを1週間続けてやれば口内に生息する虫歯菌をほぼ完全に殺菌できる。


その後は1週間に一度くらい、ジェット水流消毒液で歯を磨けば、ほぼ完全に虫歯になることはなくなるだろう。


使う消毒液は私の場合はベンザルコニウム塩化物液。500ccで400円しないくらいで売ってる。これを200倍希釈くらいで使う。私の場合は500ccシェイカーに1滴垂らして使っている。


イソジンとかは酸性が強くてあまりお勧めでない。リステリンでも構わないが、最後は真水のジェット水流で歯と歯茎の間に消毒液が残ってないようにする。これでジェット水流洗浄機の内部洗浄になるし、念のためである。


実際、私はこの方法でもう虫歯にならずに済んでいる。


これからの日本は日米FTA、TPPの影響で医療費負担が劇的に高騰する可能性がある。無論歯の治療も同じだ。


そこで虫歯にならない方法を紹介して万人に広めれば社会貢献になる。歯医者の儲けは吹っ飛ぶかもしれないが、死にはしないし、歯医者の数は全国民の人数と比べれば微々たるもの。


歯医者の儲けが飛んでも、圧倒的大多数の国民の利益になるならOKだろう。